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『碧七号』原稿 「螺子」と「造型俳句論」

  • 2013/04/21(日) 23:56:58

海程神奈川句集『碧七号』原稿
文章長すぎ。文字小さくて読みずらいですが短くできません。
悪しからずご了承ください。次回はうまくやります。

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「螺子」       小松敦


 啓蟄や百年後もいい匂いの空

 ハ短調未来が無限だった夏

 不条理とうなじの藪蚊膨れゆく

 流木の問わず語りに玫瑰も

 新品の虹を毀しにとりかかる

 お別れはレモン未満の笑顔かな

 冬が来る耳の後ろの螺子回す

 草色に染まる墓碑銘(エピタフ)黄金虫

 人生をちぎって食べる夏の空

 文学部メタセコイアの固い影

 コスモスの喪失感に瞬いて

 真暗を抱きしめるよに雪化粧

 道端に他人(ひと)の叙事詩と蒲公英と

 着ぐるみの笑顔は笑顔原爆忌

 帰省して蛇口に映る現実存

 口笛の口して終わり夏の夢

 ここへ来て秋刀魚の態度ニヒリズム

 完成を恐れる神と冬薔薇

 とうがんにあふろへあーの君主論

 薇の暗号解けた生きのびる

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「造型俳句論」をめぐる覚書     小松敦

 金子兜太の「造型俳句論」に接続すると思われる幾つかのテキストと
個人的なメモを記す。無知蒙昧な戯言と読み飛ばしていただきたい。

《兜太は素材や作者内心の風景だけを現実と見るのではなく、「感覚を
通して自分の環境と客観的存在としての自分との両方に接しつつ、
意識に堆積されてくるもの」を「現実」として尊重し、これを表現するのが
現代俳句の新しい在り方だという。》(栗山理一・俳諧史)

《習へといふは、物に入りて、その微の顕れて情感ずるや、句の成る所なり》
《たとへば、物あらはにいひ出でても、その物より自然に出づる情にあらざれ
ば、物と我二つになりて、その情誠に至らず》(松尾芭蕉)

 金子兜太の造型俳句論の趣旨は、芭蕉の表現論の具現化に限らず、
文学、美術、音楽なども含めた近現代の芸術論や哲学的考察へリゾーム状
に接続して脈を打つ。例えば、上の引用にある「意識に堆積されてくる現実」
も「その物より自然に出づる情」も不可視だが、不可視の力を見えるように
することこそ、人間が求めてやまない魅惑の技、アートだ。

《芸術の本質は目に見えるものを再現することではなく、見えないものを
見えるようにすること》(クレー)

《F・ベーコンは身体を歪める力を描く作家である》(ドゥルーズ)

《彼は、ひとつの言語的対象を創造するが、それはちょうど、画家が、色彩に
よって、存在しているものを再現するのではなく、自分の使う色彩が存在性を
与えるような地点を探求しているのと同様だ。詩人は、沈黙せる存在の言語
として存在する「事物にして詩であるもの」を創造しようとする。詩作品を、
それ自体を通して、形態にして、実在にして、存在であるもの、つまり、作品
にしようとする。》(ブランショ)

《芸術作品は或る感覚存在であり、他の何ものでもない。すなわち、芸術作品
は即時的に存在するということだ》《芸術作品は、諸感覚のブロック、
すなわちペルセプト(被知覚態)とアフェクト(変様態)の合成態である》
(ドゥルーズ/ガタリ)

《一、まず俳句を作るとき、感覚が先行する》(金子兜太)

 D/Gが言うペルセプトとは、プルーストの言う「質的差異(註※)」である。
それはリアル=現実であり、強度をそなえた力である。「意識に堆積されてくる
現実」であり「その物より自然に出づる情」である。例えば、メルヴィルの
「海洋のペルセプト」とは、波、捕鯨船、エイハブ、モービーディックなど
をすべて包含する海という諸感覚の合成態であり、特異な「ヴィジョン」の
ことだ。
メルヴィルの海、フォークナーの丘、マンディアルグの路地裏、兜太の狼。
独創的な芸術家はマテリアル(事物)と共に特異なスタイルをもって変身し
(アフェクト=事物に生成変化すること)、ペルセプトを合成する。
 このアフェクトの概念が、金子兜太においては「創る自分による造型」である。
「創る自分」のなかで対象(マテリアル・事物)と主体(個我ではなく現実社会
の中の自分)を「ごちゃごちゃ、どろどろに煮込み」、そこから映像(イメージ)
=ペルセプトを合成する。そこで為される生成変化のプロセスにおいて、彎曲し、
火傷し、烏賊に成って、蛍光し、狼になる。造型の現場はお互いの精霊を感じて
信仰しあう「原郷」であり、アニミズムに通じている。

《ひとは世界内に存在するのではない、ひとは世界とともに生成する、
ひとは世界を観照しながら生成する。いっさいはヴィジョンであり、生成である。
ひとは宇宙へと生成する。動物への、植物への、分子への、ゼロへの生成。
いかなる恐怖が、向日葵への生成のなかに取りこまれたゴッホのあたまに
取りついているのだろうか。》(ドゥルーズ/ガタリ)

(註※)作家にとっての文体は、画家にとっての色彩と同様に、テクニックの
問題ではなく、ヴィジョンの問題である。それは、直接的で意識的な方法に
よっては不可能であるような、世界がわれわれ各人にいかにあらわれるか
という質的差異の啓示、芸術が存在しなければ各人の永遠の秘密に終わって
しまうであろう、その差異の啓示なのである。(プルースト)

《参考文献》
栗山理一「俳諧史」
金子兜太「金子兜太の俳句入門」
同「今日の俳句」
金子兜太+対馬康子「月刊俳句界2011/9月号インタビュー」
パウル・クレー「造形思考」
モーリス・ブランショ「文学空間」
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」
ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」
同「記号と事件」
同「差異と反復」
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「千のプラトー」
同「哲学とは何か」
荒川泰久+堀千晶「ドゥルーズキーワード89」


以上

相模灘 久保田酒造

  • 2013/04/14(日) 23:59:59

創業1844年(弘化元年)の久保田酒造は丹沢山系の湧水を用いて
日本酒「相模灘」を醸している。


なくなれば、買いに行く「相模灘」。その辺の酒屋で売っていない。
昨日もふらりと久保田酒造へ新緑のドライブ。
きりっとしてフルーティな相模灘、一年を通して我が家の食卓を
豊かに演出するお酒。
誰かにお奨めしたいお酒ナンバーワンだが、簡単に手に入らないので
敢えてお奨めしてこなかった。気まぐれなこの機会に紹介しておこう。
久保田酒造Webページ
http://www.tsukui.ne.jp/kubota/


初めての方には12月の新酒を是非味わっていただきたい。




で、昨日買ってきたお酒はこれ。

相模灘 純米吟醸 美山錦 槽場詰め
無濾過生原酒 限定品
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長野産美山錦を50%まで磨き上げて仕込んだ純米吟醸。
繊細な美山錦の特性を生かすべくオーソドックスな9号酵母で醸しました。
美山錦の軽快な口あたりと9号酵母の爽やかな吟醸香で自然と杯が
進みます。上槽後一切手を加えずに直接槽場から瓶詰めしているので
搾りたての美味しさをダイレクトに味わって頂けます。
【原料米】長野産美山錦100%【精米歩合】50%
【酵母】9号【日本酒度】+2【酸度】1.6
1800ml:2900円/720ml:1450円(税込)
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Books reminder 『朝に効くスープ 夜に効くスープ』

  • 2013/04/14(日) 23:58:37

『朝に効くスープ 夜に効くスープ』


この本はなかなかよいです。

図書館で借りて見てましたが、買いました。
『朝に効くスープ 夜に効くスープ』浜内 千波/日本文芸社 (2011/5/30)



また風邪をひきました。
寒暖の差激しいこのごろ、皆様ご自愛ください。

春子

  • 2013/04/14(日) 23:50:00

春子

先週末、「海程」秩父俳句道場での句会でいくつか「春椎茸」
の季語を目にした。単に椎茸といったら秋だが、椎茸は
春も、いや春こそが旬なのだ。

下の写真は2週間ほど前のものだ。
我が家の狭い庭の片隅にほったらかしておいた「ほだ木」に
これまた気まぐれにも椎茸が生えていたのだ。



まさに春椎茸(春子)。
以前に報告して以来だ。もう二度と生えてくるまいと思って
いたらなんと!こんにちは。

さっそく採って網焼きにして食したところその美味いこと!
鼻に抜ける香りといい歯ごたえといい、これ以上美味い椎茸
は食べたことが無く、一生忘れないだろう、というほどの代物
はあっという間に私と御嬢のお腹の中へ。もちろんその日も
「相模灘」と共に。
舌が選ぶ椎茸は秋よりも春。

春椎茸と同じ頃満開だった雪柳。


今年の春もみんな元気。

花筏、薇(ぜんまい)、アスチルベなどなどに囲まれて真ん中
は百合。毎日目に見えて大きくなる。