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books reminder, 『超新撰21』 その2

  • 2011/03/21(月) 11:52:44

books reminder, 『超新撰21』 その1
のつづき。読みながら好いなと思ってチェックした句を抄出。
コメントは100句直後の全体感。抄出した句の感想とは限らない。



□男波弘志

不勉強な輩は難しい言葉使いに慣れず、意味が分かりません。
意図がしっくりこない。咄、帝網、くうかい、等々。調べて分かってもあまり嬉しくない。
それとも、今の私の空腹感がもたらす短気だろうか。そうであったなら申し訳ない。
「解釈の余地」はともすると「表現の無責任」と紙一重だ。
イエス様の御言葉に誰もが奇跡を妄想するわけではあるまい。

しかし好きな句もある。

  列車いま大緑蔭の駅に入る

  大空の凧を父より渡さるる

  尉面とすれ違いける祭かな

  石と手をつないで帰る春野かな

  どの骨の隙間にも海見えてあり 
 

□青山茂根

ロマンティックな違和感。私的、わがままなファッション。
例えば「悴む」を「羽化」、「踏青」といえど「晩夏」、「ががんぼ」に「嘆きの壁」。
器用な言葉の接合が生み出す美的現象、ふと人工的なにおい。
それはそれで良いのかもしれない。第一印象は良いのに共感が薄いのは、
単に私の感性の問題と思う。以下好きな句。

  流氷は嘶きをもて迎ふべし

  頬擦りのやうに蜥蜴は冷たくて

  臨終の手が風船を得し如く

  破芭蕉あり帆船に眠るかに

  沈みゆく街とも知らず踊りけり

  かたちなきものも寄りくる暖炉かな

  浴槽の捨てられてゐる海市かな

  野の花を集めしほどの水着かな


□杉山久子

綺麗で平穏です。

  春氷たれかとほくにうたひゐる

  あをぞらのどこにもふれず鳥帰る

  ゆふぐれの背をはなびらに打たれをり

  小鳥くる旅の荷は日にあたたまり


□佐藤成之

軽妙な作為というか、良質な嫌味というか、読みつけないライトノベル。
きっと好きな人は好きだと思います。

  来世あり交流中の新樹あり


□久野雅樹

下は違うが、思わせぶり意味ありげに言って置き去る句多し。
煙に巻くとも。そうでなければだいたい諧謔。

  遠ざかるものみな青く五月尽

  あの空も繭の内壁かもしれぬ

  手のひらにちりめんの眼の残りをり

  逆鱗に沿ふ琴線や明易し

  賛否よりはづるる思ひ鳳仙花


□小沢麻結

恋する乙女ちっく。ごく私的な日記を読んでしまった時の気まずさ。

  日傘閉ぢわたしの世界より戻る

  魔の国の祭に似たり酉の市

  風花の空の底なる湯宿かな

  雪吊を弾いてゆきぬ春の風


□上田信治

写生、一筆描き。
  西口で買つた西瓜を北口へ
こんなんならいくらでもできちゃうのでは?

以下は好き。

  てのひらのあかるき人に小鳥来る

  胃のかたち眠りのかたち冬の空

  松林ぎつしり充ちてゐたりけり


□小川軽舟

そつがない。整いすぎている。雑味が恋しくなる。

  水たまり踏んでくちなし匂ふ夜へ

  亀鳴くや行きしことなき本籍地

  元日や乳に酔ひたる赤ん坊

  道ばたは道をはげまし立葵

  ややありて舟にひらきし日傘かな


□柴田千晶

エロティシズムというよりポルノ。暴力的でつらい。
  全人類を罵倒し赤き毛皮行く
どうぞご自由に行って下さい。


□清水かおり

前の人の後だけにほっとする。 失礼! 前の人関係なしに面白い。
連続しない光景、不思議と実感のともなう幻想、さっきまで見ていた夢のよう。
私が眼にする雑然とした街並、刻々と過ぎてゆく日常の光景は、非連続的だ。
非連続性こそがリアルだ。そのままの剥き出しの事物のコラージュがリアルなのは
あたりまえなのだ。そしてこの非連続性は極めて個人的に統御される。私によって。
自然。自然な表現でありたい。
やりすぎは良くない。時折、自動筆記のごとく、メカニカルで人工的すぎると、
ばらけて、統御できない。無意味になる。かな変換の間違いみたいに。
だれにも間違いをただされない翻訳機のごとく。


  逆光の芒をしまう道具箱

  声帯をまっすぐにする寒桜

  草の真上の鍛え抜かれた月である

  相似形だから荒縄で縛るよ

  夏木立いつもひとりの翻訳機

  想念の檻 かたちとして桔梗

  兄ふたりゆうれい船という遊び

  階下に液体 或る日が流れつく

  吐き出した月に吐き出される机

  ねむってはいけない空からの寓話

  雨の匂い辿る 机上の夜まで

  箱で売られる薄く唇あけたまま



そして翻訳は続く、放棄してはならない、この3.11、
無意味に不公平なリアリティをも。


以上

不眠症の貴方へ Goldberg "Sax" Variations!

  • 2011/03/06(日) 18:59:32

びっ。 くりした。



平野公崇(hirano masataka) サクソフォン・リサイタル

3/2(水)19時開演 東京文化会館小ホール
 平野公崇(hirano masataka) サクソフォン
 山口研生(yamaguchi kensei) ピアノ

第1部
J.C.バッハ:フルート四重奏曲 第1番 作品19
ブラームス:クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 作品120の2

第2部
J.S.バッハ(編曲:平野公崇):主よ、人の望みの喜びよ
J.S.バッハ(編曲:平野公崇):G線上のアリア
J.S.バッハ(編曲:平野公崇):ゴールドベルク変奏曲 BWV988より
第26変奏/第19変奏/ 第7変奏/第30変奏

アンコール
J.S.バッハ コラール・プレリュードBWV.659
J.S.バッハ 平均律第1巻第2番ハ短調より 前奏曲





あいもかわらず大好きな『Officium』を聞いていたら、傍にいたレディが高校時代の
吹奏楽部の先輩を思い出したといい、平野公崇という。
さっそくWEBで調べてみればタイミングよく3/2のコンサートを発見した。

クラッシックのサクソフォン生演奏を初めて観たのだが、ほんとうにびっくりした。
『Officium』のヤン・ガルバレクが奏でるサックスを聞いていたのでサックスが時に繊細な
情景を描き出せることは承知していたが、イメージはやはりブラスバンドでありビッグバンド、
ジャズであった。が、平野公崇によってそんな固定観念は吹っ飛んだ。

サックスは平野公崇の身体の一部になり声帯と化した。大きな声で高らかに歌い上げたり、
かすれるようなハスキーボイスはおなじみだが、透き通った小声でつぶやくこともあれば、
優しく泣いたり、朗々と語るときもあるのだ。なんと幅広い表現力。

第2部はいずれも平野公崇の編曲にインプロビゼーションが織り交ぜられて、どの曲の
展開もスリリングで興奮しっぱなしである。ゴルドベルクには、本当にヤラレた。
聞いてる方の息が切れるパフォーマンス。身体が動き出す。

山口研生のピアノがまたいい。サックスの歌声を支え、共に歌う。独特のやわらかさと
落着きを持ち、誠実な感情を奏でる音に完璧な安心感を得た。
(ググッてもあまりヒットしない。普段はベルリンで活動しているらしい)

機会があれば、是非耳を傾けてみていただきたい。

amazon 平野公崇


以上

サクソフォーンとは、Wikiによるとこうだ。
1840年代にベルギーの管楽器製作者アドルフ・サックス(Antoine-Joseph
"Adolphe" Sax)によって考案された。1846年に特許を取得している。saxophoneの名は
彼にちなむ。元々吹奏楽団における木管楽器と金管楽器の橋渡しを目的に開発された。
構造上、木管楽器に分類されるが、真鍮を主とした金属で作られており、木管楽器の
運動性能の高さ、金管楽器のダイナミックレンジの広さを兼ね備えている。新しい楽器の
恩恵として、洗練された運指、発音の容易さは他の吹奏楽器に類がない。

いせ源 あんこう鍋

  • 2011/03/06(日) 12:55:25

昨晩は「いせ源」で「あんこう」を堪能した。

予約はコースじゃないと受けてくれないので、アラカルトでいきたい我々は開店時間の
17:00、店の前で待ち合わせた。
「本日のあんこう」とメモのついたあんこう君が老舗のショーウィンドウ、出窓の飾り棚に
氷と一緒にぐったりしている。観念した顔つきで獰猛な口を半開きにして煮るなり焼くなり
勝手にしやがれ!と啖呵をきっている。
天保元年創業、五代180年にわたって、贔屓の舌をうならせてきた。建物は関東大震災
の全焼後昭和5年築、東京都歴史的建造物に選定されている風格のある店構えだ。
靴を脱いで手渡される下駄箱の番札、手垢に光る風情あり・・・とこの調子で話し始めると
また長くなるのでやめておく。

旨かった!

きも刺し、あん刺し、煮凝り、あんこう鍋、おじや。

特にきも刺し、とろける。海のフォアグラ、バターのようだ。あのあん肝独特の香りの後味は
さっぱりして、くさくない。
あん刺しは極めて淡白である。しかし時価とはいえ一皿二千円は高い。
煮凝りの中でくるくるしているのは何かと仲居さんに聞いたら卵巣だと。あんこうの卵巣は
平べったいのだと。ちなみに、あんこうは海の底に日がな一日餌を寝て待つくらしぶりだろう
にどうやって捕まえるのか聞いたところ、底引き網だそうだ。

あんこう君の平穏な日常は、ある日突然すくい取られる。

鍋にもたっぷりあん肝。あんこうの色々な部位が食べやすく下ごしらえされてぐつぐつ。
すこし甘めの割り下で、ぷりぷり。菊正宗の熱燗をちびちび。
芹の香りがよい。白い野菜は何かときけばウドだそうな。おじやは絶対におすすめ。

17時に入って、おじやのあとのお茶でくつつろいでいたら、仲居さんがやってきて、
あのう、そろそろとお開きを促がす。
18時半会計をすまして外に出てみれば、店の前には長い列が出来ていた!

お店のホームページがなかなか丁寧だ。
あんこうの暮らしぶり


以上