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pleasure vinyl, "Music for Airport" Brian Eno

  • 2011/01/30(日) 17:52:08

電燈を点けよう。

何事にもやる気の出ない日、寒い日。

Music for Airport なら、すうっと身体に沁みこんでくる。




さっきカーテンを開けて朝日がまぶしかったのに。

きょうはこれで精一杯。

books reminder, 『切りとれ、あの祈る手を』佐々木中

  • 2011/01/03(月) 11:41:42

『切りとれ、あの祈る手を』 佐々木中

読了。
そもそも知ったかぶりに語られることを拒む意志に満ちた本なのだ。私はだいたい
この佐々木中という人物の態度が好きである。だから筆者に敬意を表してくだくだ
と解説はするまい。とはいえ、せっかくなので読書メモしておきます。

前著『夜戦と永遠』から2年、その間多くのありがたい書籍刊行の申し入れを
断ってきたらしいが「ハードコアなまま間口を広げることは可能であるし、それなく
してはシーン全体に寄与する行動とは呼べない、現に自分もそのように長い
間にわたって努力してきたのだから」と佐々木士郎(RHYMESTERのMC宇多丸)
からの強い説得で語りおろした本。五夜にわたるインタビューをまとめた本。
 第一夜 「文学の勝利」
 第二夜 「ルター、文学者ゆえに革命家」
 第三夜 「読め、母なる文盲の孤児よ ― ムハンマドとハディージャの革命」
 第四夜 「われわれには見える ― 中世解釈者革命を超えて」
 第五夜 「そして三八〇万年の永遠」
印象的な書名はパウル・ツェラン『光輝強迫』のなかの一篇の詩句引用との事。

新たな革命の可能性を目指すというよりも、佐々木中的な「悪しき知の形象」を
仮想敵とした軍事演習的随想。すべてが情報だ、すべてについてすべてを知り
語れるという幻想に犯された批評家や歴史も文学も終わりだという終末論者や
ブランショをバカにするようなさもしい輩に対して、何故こいつらはダメなのかを
滔滔と語り、不快を表明する。私は概ね佐々木中に賛成意見なので面白く読ん
だが、そんな私でも若干、しつこいと感じた。それほどしつこくしつこくぶちのめさ
ないと生き返ってくるゾンビみたいなやつらが相手と理解しておく。

ファッショナブルなアジテーションに溢れている。
帯付き画像が以下URLにあったのでご覧頂くが、これだぞ。
http://www.atarusasaki.net/book_schneid.html

ハードコアなまま間口を広げるための広告宣伝作業としては成功していると思うし
個人的には好きだ。が、ちと宣伝文句、おおげさ過ぎるだろう。中身も佐々木中
独特のアジテーションに満ちたMC仕立てである。

この本でいう「文学」は『夜戦と永遠』でも述べられていたが狭い近代的な
文学概念に閉じない。帯や宣伝文句だけ見ると誤解する。まあ寧ろ誤解させる
ようにレイアウトされているのだろうが。
ラテン語の古典の用例まで遡って「文学」を「読みかつ書く技法一般のこと」と
再定義する。聖典、法典の読み書き翻訳、編纂も文学だし、ロックもヒュームも
ニュートンも文学だ。
そして文学とは命がけなのだ。書いてあることを真に受けて、世界と自分の理解との
ギャップに悩み<本を読んでいるこの俺が狂っているのか世界が狂っているのか>
それが読むことだと。例えば「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。
私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」と語るに至った
ルター。文学者ゆえに革命家のルター。
文学を広義に捕らえ、文学こそが革命の力であり、革命は文学からしかおこらない、
と言い放つ。この辺の言い方が大げさなんだよな。文学=革命、という扇動的表現が
かっこよくて、それに至るべく色々な逸話を挙げているという印象が強い。佐々木が
忌み嫌う「悪しき知の形象」に自ら興奮しすぎて陥りそうじゃない?
Before/Afterを記録することは革命であろうとなかろうと手続きとしてあたり前のこと
だと思うし、それを言い始めると革命も文学だけど「すべては文学だ!」になってしまう
じゃないか。
近代国家の祖形、法人概念の創出となった中世解釈者革命が共通法たる教会法の
書換えであった。法典索引=データベースが整備された。
情報としての法、権力としての暴力、情報と暴力からはみ出した主権=国家、の三位
一体が発明され世俗化=植民地化という暴力で世界に拡がった。この十二世紀革命
を「テクストの革命」と称し現代に至るまで「文学を喪失」した契機とみなす、そうやって
法や規範と政治から文学が分離したのだと、論をすすめる。面白い。
しかしそれでも「藝術的なものは法や規範や政治の本質の一部なのだ」。フーコー、
ニーチェ、ルジャンドルを参照して、要は我々の労働、市場活動、社会生活のあらゆる
場面、言葉、礼儀作法、なすことすべてが、社会によって振付けられている=調教され
ている。教育であり訓育であり躾であり人間身体の統治である。藝術や文学は統治や
繁殖と切り離せないのだ。むむ、聞き慣れた展開で陳腐だな。結論を急ぐな。
で、結局、藝術や文学はけっして、終わりっこない。言葉は失われることがない。だから、
恐れずに読もう、書こう、君は革命を成し得る!と元気づけてくれる。

本書の結論としては、明言はしていないが要するに上記のとおりだが、第五章の中、
物書きを志望する学生やデザイナーから「なぜ発表するのだ」との「実に誠実で苦しい
質問」を受けたというくだりは興味深かった。これまた佐々木中、「読んでしまったから」
とか言って即答しないからじれったいが要するに「自分の著作が他人のためになるかも
しれないから」と。フーコーもドゥルーズもルジャンドルもデリダもブランショが居てくれて
良かったのと同じように、暗闇の先を行く「友の足音」になろう、という良心ゆえに。

やや強引な展開だが「おしゃべり」を本にしているので厳密さを求めないことにする。
佐々木中の博識と意志が鏤められたサンプラー的書物としてお勧めである。


ちなみに早稲田文学増刊号πで古井由吉との対談、小説「九夏前夜」も楽しみである。

以上