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パブ 『シンポジウム』 と 別室 『PMS』

  • 2010/02/21(日) 09:58:49

パブ『シンポジウム』
『シンポジウム』という名のパブをやっている夢を見た。

別室 『Pedantic Minerva Salon』はいずれ部屋の扉を開けたいと考えているが、
まさか、パブ『シンポジウム』とは。予想外だ。

討論会?シンポジウム?何だと思って調べてみた。

http://www.etymonline.com/index.php?term=symposium

syn- "together" + posis "a drinking"
本来はいっしょに酒を飲む、という意味。あるテーマについての討議会、
との現在の意味合いはプラトンの対話編のひとつ『饗宴』(symposion)から
来ているらしい。飲みながら討論する場所パブ『シンポジウム』なんて、
語源そのままじゃないか!!しかし、何故パブなのだ。クラブでもサロンでも
なく、パブ。

また暇なときに考えてみる。

以上

Akiy de Provence  アキデュプロヴァンス

  • 2010/02/20(土) 23:31:48

Akiy de Provence 〜アキデュプロヴァンス〜 町田

初めて入るおみせ。土曜日の午後18時からの予約を直前に入れる。
電話のものごしやわらかく、3名で席だけの予約も気持ちよく受けていただく。

18時過ぎに入店。メニューをいただいてからオーダーまでに15分ほども悩む。
が、催促もするでもなく、ひかえめの応対が気楽でよい。

ブルゴーニュコースをオーダー。
アラカルトもあり、だいたい一皿2000円。パンもスープもデザートもコーヒーも
という方はコースにした方がお得でしょう。

ブルゴーニュコース(品数8品) 5250円はリーズナブル。

■スモークサーモンの詰め物ディール添え
 …ノルウェーサーモンにポテトサラダを詰め、巾着風に仕上げました

バルサミコソースと、ジェノバソースが散らしてあって、赤、緑、オレンジの
色あいが美しい。サーモンにディルは合うね。味は普通に美味しい。
とくにこれといった特徴はないが、家庭的。シャンパンもいただく。
グラスワイン、シャンパンも安い。どれもグラスで600円くらい。ボトルで3000円位。

■本日のスープ

今日のスープは、きのこのオニオンスープであった。じっくりとソテーされたオニオン
の甘み豊かな琥珀色のスープ。しめじ、しいたけ、エリンギの食感が良い。
なんといっても熱々でたっぷり出てくるところが嬉しい。


■石巻産帆立貝のワイン蒸し ニューバーグソース
 …フレッシュ帆立貝と地野菜をまろやかなクリームソースでお召し上がり下さい

大粒のホタテが二つ、中はレアに蒸されて、やわらかいが新鮮な弾力が食べ応え
あり。白ワインとともにいただく。ニューバーグソースはコク深いがさっぱりとしている。
パンでお皿のソースまで綺麗に完食。
ちなみに、パンはふっくらした小さなおしりのようで、実はもう1つ食べたかった。

■メイン料理(下記より1品お選び下さい)
 ・牛フィレ肉のステーキ、森の幸添え
  …柔らかい牛フィレ肉をきの子とともにお召し上がり下さい
 ・仔羊の骨付ステーキ、エストラゴン風味ソース 温野菜添え
  …オーストラリア産仔羊ロース、エストラゴンの風味でお楽しみ下さい

牛フィレ肉のステーキの方ををいただく。赤ワインも。
マデラ風味ソースとともに、きのこ(しめじとエリンギ)のホワイトソース煮がたっぷり、
とクレソンじゃなくてイタリアンパセリが添えられていて、味わい方を楽しめる。
茹でたにんじん、かぼちゃと大根も。とくに大根が固めの歯ごたえでユニーク。

■かわいい葉のサラダ
 …様々な葉のサラダです

粉チーズたくさんのシーザサラダだが、シーザサラダドレッシング特有のチーズくささ
がない。サラダはお肉と一緒に出てきました。味は可も無く不可も無く。

■本日のスペシャルデザートフルーツ飾り 

アイスもケーキもフルーツも。甘くて、酸っぱくて、ほろ苦い、嬉しい一皿。
マンゴーのシャーベットが小さなシャンパングラスに入れられて、グラスがたおれない
ようにバターでプレートに固定されている。オレンジ、グレープフルーツ(赤・白)、イチゴ、
メロン、表面がかりっと焼かれたクリームブリュレ、チョコレートケーキ、チョコ&カスタード
クリーム、ミントを添えて。

■コーヒー又は紅茶 

デザートの量にあわせてか、おおきめのカップでたっぷり。

会話もはずんで約2時間半も居りました。お料理のペースもゆっくりかな。

おなかいっぱい。ごちそうさまでした。

次回は、このお店ご自慢のオムライスとオックステールシチューを食べてみたい。

ちなみに、利用している玉子は「宝夢卵」とのこと。
実は我が家の食卓にも定番の相模原名産。鶏舎脇の販売店までわざわざ買い
にゆく、美しい卵だ。

以上

Pleasure vinyl, Beyonce feat. Lady-GAGA

  • 2010/02/14(日) 22:58:49

これ、ダメだけどね。でもビヨンセがガガ、だから。



黒くて太い。Derrick MayもRicardo Villalobosも好んでPlay.


このEP、amazonで調達
D'n'Bの御題で今度short akomixヤリマス。


以上

神秘主義と精神分析、そして死、死、死。

  • 2010/02/07(日) 13:46:18

気が向いては読み進めている、佐々木中『夜戦と永遠』、
ようやく第一部も終わりを迎えつつある。備忘録としてのメモ。

第四章 女性の享楽、大他者の享楽―精神分析の臨界点

『アンコール』の表紙にあるのはベルニーニの高名な「聖テレジアの法悦」の像だ。
ラカンは、修道会の女性神秘家ハデウェイヒの名をあげて神秘主義について語る。
佐々木はセルトーの助けを借りつつ論を進める。

神秘主義は「体験」ではない。神秘主義は「言葉」である。神秘体験は言語と不可分、
神秘家とは「書く者」のこと。神秘主義は死を賭した「抵抗運動」(フーコー)である。

神の女となり、神に導かれ、御言葉である神の子を産むこと、世界を産むこと、
これが「女性の享楽=大他者の享楽」である。

<神秘家はマリアを反復しようとする。産み出されるもの、それは恋文である。
愛の文字であり、愛の証である。そう、キリストは受肉した「御言葉(Verbe)」である。
そして「概念(concept)」はそもそも「受胎されたもの、孕まれたもの(conceptus)」
という意味であり、「マリアの妊娠」はconceptio Mariaeである。ゆえに、キリストは
マリアの概念化(conceptio)によって産み出された概念(conceptus)である。そして
それは、その概念の身体は、新しい世界である>

書くこと=女に‐なること、哲学とは概念の創造である(ドゥルーズ)
「私の子どもたちが来る、私のこどもたちが」ある予感に泣き濡れるツァラトゥストラの科白

<書くこと。ピエール・ルジャンドルが言うように、「社会とはテクストである」。ならば、
書くことは、社会を織り上げ、紡ぎ直すこと、そしてその究極の一点においては
「産み出すこと」以外のことではない。>

<一瞬で異端を宣告され焼き殺される時代から、一瞬で分裂病者と宣告され精神病院に
幽閉される時代へ。そのあいだに開いた、あの空白。長いようで短い二〇〇年、その
束の間の蒼穹、その空の青みにおいてのみ、彼女たちは危うく生き延びることができ、
そして恋をした。テクストを産んだ。その出自を多く没落貴族に、改宗ユダヤ人に、無学
な女性や愚人に、辺境の人々に持っていた彼女たちは、徹底して「別の」「ことのやり方、
スタイル」を貫いてみせたのだ。別の恋、新しい恋、新しい革命。だが事は破れた。
分裂病テレジア、分裂病ヨハネ。時代は大きく旋回し、彼女たちは病理学的な対象となって
いくだろう。彼女たちは、流産したのだ。彼女たちは、失敗したのだ。しかし、誰がそれを
嘲弄することができよう。古いものと古いものとの関係に固執することなく、新しいものとの
新しい関係に自失することなく、古いものとの新しい関係を、別の「関係」を、「恋」を―彼女
たちは生きたのだから。>

<中世世界の黄昏、近代世界の曙光の過渡期にいるという意識において第三の道を示そ
うとした神秘主義と同じく、近代個人主義世界の黄昏のなかにいるという意識にあって、−
−別の方途を探ろうとした精神分析も、過渡期の、ある空白の時代のなかの形象だったの
だ。神秘主義と精神分析は、そのような過渡期のなかにあってその内部から社会的価値
を揺さぶり、それを「内破」しようとした企てだった。>

息苦しい空気に耐え難く、押し開く天窓のために、論は「死」へ移動する。

括弧(パランテーズ) 表象と死体―ハイデガー・ブランショ・ギンズブルグ

ラカン理論にある「すべて」が何か、死の匂いを拭いきれない。
対象aも死、想像界も死、象徴界も死、現実界も死。死、死、死。


死こそは、私のものである。誰にも代わってもらえない、私だけのものだ。(ハイデガー)

否、死とは、「この私」ごと「死」が「消えていく」出来事なのだ。
わたしは、その消失の完了を見取ることができない。
わたしはわたしが死んだことを確認できない。(ブランショ)

だから、他者は死を死者に送り返すべく、死を死なしめるべく、葬送する。
あなたは確かに死んだのだ、と。
そして死んだあなたを表象する人形が、遺影が、おかれる。表象としての生。
これが人の生だ。

<はじめからラカンと共に、われわれは何度も繰り返してきたではないか。われわれは、
はじめから享楽する死体の人形(ひとかた)であり、人形(にんぎょう)である。>

<もはやこれはニヒリズムではない。「生き生きと」生きたい、などという益体のないことを
考えるから、表象として生きることが「疎外」になるのだ。>

<表象を批判せよ、イメージを批判せよ、現実へ、現実の方へ、などと口にする軽率な輩
は絶えないが、一度でも自らが「生き生きと生きたい」などという欲情の享楽に濡れきって
言葉を発したことがないか、それがあの不毛な絶対的享楽と野合したものではなかったか、
自問自答してみるがいい。この死体の人形としての生、自動人形としての生に、何か欠けた、
欠如したものがあるなどと考えることこそが、自らを疎外と愁訴の罠に閉じ込めるのだ。
何度でも言う。こうした愁訴は幼稚なのだ。>

<そして再度言おう、人形の生、だから良い、だからこそ良いと。このような人形の生を、
中身がないとか剥き出しだとか動物的だとか何とか結局は軽蔑する者は、要するに死を
享楽し、死の姿に享楽し、また自分だけはこの人の生の営みから逃れそれを「超越」して
いると必死で思い込もうとしている、惨めな輩にすぎない。>

<ここにはニヒリズムなど何もない。はじめからそれはそういうことなのだから。そして―
この人形を、作ることだってできる。産むことができる。人形として産まれ、人形として生き、
人形として死ぬ。>

<つまり人形を作り出そう、新しい人形の身体(コルプス)を作り出そう、新しい世界、共同体
(コルプス)を作り出そうという恋の企てがあるのだ。そこにおいて、もう死は恐怖ではない。>

<人形には、何も欠けていない。その内在性の世界にあっては、死すら恐怖ではないのだ
から。この死の人形の世界こそが、「現実の」歴史の世界、その闘争の世界なのだ。
さあ、この括弧(パランテーズ)によって、愁訴と悲嘆と鬱屈とアイロニーに満ちた精神分析
の密室の天窓は、半分押し開かれた。さらにこれを開け放つために、行こう、人形職人の
世界へ。>

<第二部 ピエール・ルジャンドル、神話の厨房の匂い> へと続く。
たのしみである。

以上