ツイート

books reminder『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』

  • 2010/01/31(日) 23:56:42

「夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 」(河出書房新社)
 鈴木 しづ子



伝説の俳人鈴木しづ子生誕九十年記念刊行。
かつて刊行された二冊の句集『春雷』『指輪』を併せた決定版。
(椎名林檎推薦、とのこと)

(抄)



  明星に思ひ返へせどまがふなし



  娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ



  体内にきみが血流る正坐に耐ふ



  コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ



  夏みかん酸つぱしいまさら純潔など



  月の夜の蹴られて水に沈む石



  木枯しや坐せば双つの膝頭




熱くなる。


以上

海程 460

  • 2010/01/31(日) 23:52:49

海程 460 2010年2・3月合併号
「海程集」投句。

〇 逆光にかをる女の檸檬裁つ
  オリーブの枯れ木焚きつけ耳澄ます
  熱燗の一口ごとに忘却す

没 冬晴や白無垢の妹母を呼ぶ
  霙るるや新たな香を焚きて待つ


まだまだです。


以上

Books reminder, 『談』82号 おとはどこにあるのか

  • 2010/01/24(日) 22:54:06

『談』82号 特集 おとはどこにあるのか・・・聴くではなく、奏するでもなく

「技であり芸」を音の分野でテクニカルに検討するとこうなるのかもしれない
というのが、『談』82号のお話。やはりアートとは、いのちにかかわるのだよ。

柏野牧夫と池谷裕二<対談>理性を導く音の快楽
物理的に同じ音を反復すると知覚が変化する。バナナバナナバナナバナナ・・・。
「バナナ」というクリアな音声をループするのだが「ナッパ」になったり「ナンバ」
になったり、聞こえ方が変わる。

一定感覚毎に無音を挟み込んだ声は意味が分からないが、無音の代わりに雑音
を入れると意味がわかる。音楽の場合も前者は音が飛んで聞こえるが、後者は
なめらかな音楽に聞こえる。

「バ」と言っている音声に「ガ」と言っている映像を重ねたものを観ると「ダ」と聴こえ
てみたりするのは聴覚が視覚に左右されるということ。

音があるからといって聴こえるとは限らない。
知覚意識は音そのものではない、という脳のシステムの話。

脳の快楽を感じる場所は腹側被蓋野という場所で、音楽を聴いて陶酔していると、
この場所が活動していることが知られている。しかも自分の好きな音楽を聴いて
いる時だけ活動してドーパミンを出す。

関連した実験で、8khzの周波数の音の時にだけ腹側被蓋野を電気刺激すると、
1時間もすれば視覚野のニューロン/神経細胞が8khzに敏感に反応するように
なったという。8khz周辺の変化に敏感になるということは、好きなモノの変化に
敏感であることと通じる。

関心のない人が聞いたら同じ音にしか聴こえないミニマルテクノのバリエーションに
興奮したりする風景を説明している。新奇性があると報酬が出る、脳は予測性能を
高めようとする、そのためには予測できない部分が大事。予測できないことを検知
することが生物学的に意味がある。しかし予測誤差は外界からくるものだけではなく、
内的にも発生している。脳の状態は一定ではない。外界情報が一定だと、脳内で
発生するちょっとしたノイズも新奇データとして扱われ、新たなパターンを認識したり
する。バナナの例などがそうだ。
しかし、外界からのデータがゆらぐと逆に脳内では知覚を安定化する傾向がある。
アナログレコードの音が良く聞こえるもの実は回転数の揺らぎや針音など不規則な
ノイズが実は脳内知覚に影響しているのではないかと考えられている。

上記を踏まえた探求かどうかは分からないが、渋谷慶一郎と小沼純一の
<対談>「聴いたことのない音楽」の方へのなかで
渋谷慶一郎
「・・・消費のみの若者はもう放っておいて、ちゃんと聴いてくれる良質なリスナーだけ
を相手にしていればいいという。それは一つの方法ではあるけれど何かが抜け落ちる
気はするんですよね。
いくら実験的だとか言ってやっていても、括弧つきの「最先端」になっちゃう可能性が
大きい。
むしろ僕は、今は逆の方向を考えています。たとえば、カップラーメンとかコーラって
依存しますよね。
脳にアディクトする。同じように音色をスペクトラムや周波数特性など徹底的にリサーチ
して、記号性、習慣性のような記憶の問題を抜きにしてアディクトする音色をつくる
というか探す。・・・アディクトとしての音楽。これは危険なんだけどすごくやってみたい。」

Greg Eganの短編集『TAP』(河出書房新社)に収録の「新・口笛テスト」を彷彿とさせる。
CMコンサルタントのアンダーウッドの前に、「応用神経マッピング社(ANM)」の社長が
セールスにやってくる。ANMは音楽の処理に関する神経経路を特定し、万人の当該神経
ネットワークが共有している特性を研究して、コンピュータモデルを定義し、そのモデルに
対してこちらの望みどおりの影響を与えることに特化した音楽を、設計することができる。
バカにしていたアンダーウッドだが、そうやって作曲されたサンプルを、一度聞いただけ
なのに、好きでもないのに無意識に口笛で吹いていることに気づく。
しかもその口笛を聞いていた妻までもが。
やがてANMの楽曲がCMソングに採用され、クライアントは大喜びだが・・・。
事態は恐るべき展開を迎える。

渋谷慶一郎の第三項音楽の音色生成ソフトウェアでは、あるパラメータを入れると
サウンドファイルがひとつ出来上がる。これが普及すると電子音楽、コンピュータミュー
ジックをめぐる状況は大きく変わると思う、と発言している。
自動作曲というわけではなく、新しい音色を作りたいという意志。
作曲家のイメージ、頭の中で鳴っているものと無意識を連結させるインタフェースに
テクノロジーがあるという。

予測できないこと、聴いたことのない音楽、新奇性への報酬。
生物学的な意味と無意味、LIFEにかかわるリスクと、アートとの相関について、
ぼくはまた考えているところだ。

以上

Pleasure vinyl,  Rollin' Rollin' 

  • 2010/01/24(日) 22:27:36

七尾 旅人+やけのはら Rollin' Rollin' 

 baby oh baby, keep coming back, oh
 baby oh baby, keep koming back.

Rollin' Rollin'
今日アナログ版が届いて何度も聞いていた。七尾旅人の百人組手vol.2
のラストを思い出していた。 
声や息を生身の楽器としてガットギターとハーモナイズさせるアコースティック
サウンドの妙に皆感動したのではないか。相手が自分のギターであろうと、
DJ BAKUであろうとROVOであろうとミドリであろうと。

七尾のコトバを借りれば、すぐそこにあるいまここにある「小さなファンタジー」、
だれもに「内在する歌」と共鳴すること、「どうやって魂を響かせればよいのか」
ってこと。

それを探求する営みこそ技であり芸だと思う。そうした営みにはいのちが
かかっている。いのちに触れるものに人は感動すると、僕は思う。アーティスト
とはいのちに触れるアートに長けた者だと僕は思う。それは音楽に限らない
はなしだ。小説や詩、絵画や映画、批評や哲学ですら。そして自然そのものも。



おまけ、百人組手でいちばん最初に歌ったうた。



Rollin' Rollin'は「今夜はブギーバック」越えを果たした、とかJETSETでは宣伝してるので
「今夜はブギーバック」nice vocalバージョン。
個人的には『スチャダラ外伝』のsmooth rapバージョンの方が好きですが、映像見当たりません。



ライブで歌った『I'm proud』また聴きたいぜ。

以上

『グラン・トリノ』

  • 2010/01/17(日) 23:27:33

『グラン・トリノ』

慟哭を堪え歯を食いしばり、泪のただほおをつたうにまかせた。
とてつもない疲労感にまみれてエンドロールを呆然としてすごした。

命令されたわけではなく自分からやったと、言うことを恐れている。

そう、ガンガン自分でやる男。 最期まで、自分のためにやる男。

完璧にやられた。