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ソクーロフ 『太陽』

  • 2008/05/12(月) 00:15:42

ソクーロフ 『太陽』

雨なので、屋内で映画をみた。

「ソクーロフの造形美」と絶賛されるほどの美を感じ得なかったが、
複雑な関係性のなかにありながらも、ほとんどモノローグの昭和天皇と
デビュー以来一貫して一人芝居を極めるイッセー尾形のキャスティング
は絶妙だ。
お笑いやものまねではない。シリアスなのだが、板付きの成り切りに
感動するのは、姿かたち、顔やしぐさだけでなく、
当時のご本人の気持ちを、その真摯な感情や興奮を再現するゆえだろう。
昨日の『ABBA GOLD』もしかり。

マッカーサーとの会食の後。
部屋に戻り独りになると、終戦、神格の否定のスピーチを想像し、
独りごちて、彼は安堵に微笑んだ。
僕はこのシーンが一番好きだ。

疎開先から呼び戻した皇后に自身の決意を述べ伝える。
素直に当たり前に受け入れる皇后の器の大きさといったら、
昭和の時代を軽く凌駕する。

大広間に待つ子供達との再開の直前、ふと『人間宣言』の録音技師に
気を使って、彼の今の身上を侍従に問えば、彼は自決したと言う。
それを聞いて天皇、皇后ふたりともだんまり、沈黙のうちに最後の
カットを終える。
続くエンドロールのバックグラウンドには玉音放送が薄く流れ。

次は、『精神の声』、『マリア』を観たいと思う。

ABBA GOLD

  • 2008/05/11(日) 19:05:11

ABBA GOLD
5/9(金)19:00神奈川公演にいってみた。

相模大野グリーンホールまでは家から自転車で10分くらいだ。
“…More original than the original”
と言われるくらいだから、開演前から開場付近は相当な興奮状態
にちがいあるまい。
随分以前にゲットした一階10列目ステージ目の前の席には、
ごった返すファン達をかき分けて、ようやくたどりつくほどに、
場内のボルテージは開演前から既に最高潮に達していることだろう。

そんなふうにわくわくしながら大ホールの受付に行ってみると
時間を間違えたかと疑ってしまうほどに閑散としたロビー。
開演15分前にもかかわらず、空席も目立つ。開演5分前になって、
ようやく席も埋まりだしたが、2007年東京国際フォーラム公演の時は
全席SOLDOUTで涙を呑んだファンも大勢、というあのふれこみは
何なんだ。やはり地域差か。そうか、そうだろう。
立地条件として集客には絶対的に不利に違いない相模大野を神奈川公演
の舞台にしてしまったのは一体どういうわけなんだ。明日からの赤坂ACT
公演の練習とはいえ、これじゃ、やるほうも観るほうも相当頑張らないと
乗り切らんだろう。
そんな不安に加え、客層に若者はほとんどいない。冗談ではなく。
おそらく90%は40代後半〜50代だろう。

俺は奇特な部類なのだろうか。ABBAに俺は10代で出会い(ラジオで聞いて、
すげーいい!と思ってCDを買った)以来、ずっと好きで繰り返し聞いている。
メロディといい、リズムといい、原曲そのままで美しくかつダンサブル。
実際、ハウスリミックスとかブート版でもあまりでてない。四つ打ちキック
なんて入れなくたって十分踊れるのだ。“Dancing Queen”はもちろんだが、
例えば“Chiquitita”、「チキチータ、どうしたの?」と失意の友に
親友が静かにやさしく語りかける歌い出しだが、徐々に展開していって、
最後は荘厳かつゴージャスに盛り上がり、アグネタもフリーダも踊ってます。


ABBAは、アグネタ、ビヨルン、ベニー、フリーダ、の4人組で、
Agnetha Faltskog アグネタ・フォルツコグ(vocal)、
Bjorn Ulvaeus ビョルン・ウルヴァース(guiter) 、
Benny Andersson ベニー・アンダーソン(piano)、
Anni-Frid "Frida" Lyngstad アンニ・フリード"フリーダ"リングスタッド(vocal)
みんなの名前の頭文字をとってグループ名にしてます。
1982 年に活動停止(=事実上解散)するも、1992年にリリースされた
「ABBA GOLD - GREATEST HITS」
は全世界で2千万枚を超えるセールス。
2005年、“GIMME! GIMME! GIMME!”をもろサンプリングした“Hung Up”
もともとABBAの大ファンというマドンナがリリースしてABBA人気再々燃。
“ABBA GOLD”なんてショーも初めはコアでマニアックな人たちのイベント
だったみたいだけど、そんなABBA人気リバイバル背景のもと、規模拡大したみたい。

ABBA GOLD は、このスウェーデン出身の人気グループ“アバ” の全盛期コンサートを、
その楽曲への音の追求、当時の華麗なる衣装&振り付け、ステージセット等を忠実に
再現したいわば「そっくりさんものまねコンサートショー」。
2003年3月ベルリンにおいて、Atam AchikbasとWerner Leonardのふたりの
プロデューサーの手により「ABBA MANIA」というタイトルでスタート。
2006年3月にパリ・オリンピア劇場での公演を期に「ABBA GOLD」とタイトルを
新たにして、ヨーロッパ各国で100万人動員を突破する爆発的人気を博して後、
オランダ、フランス、ベルギー、ドイツ、スイス、オーストリア、
ルクセンブルグ、スロベニア、クロアチア、ハンガリー、イタリア、
ポルトガル、ロシアで大絶賛を受けてきた、とのこと。

ところで、ショーはどうだったかというと、すごい盛り上がり。
サプライズもあり、途中からずっと立ちぱなし。
Thank you for the music
, ABBA!




東山魁夷

  • 2008/05/09(金) 16:14:15

4/27(日)「生誕100年東山魁夷展」を観にいった。

代表作からスケッチや修作まで100点あまりを、全国各地の美術館や企業や個人から寄せ集めて一箇所で展覧している。このような機会はめったにない。
じっくりと堪能した。
折を見て長野県の東山魁夷館にも行くつもりだったが、今回の展覧会が開催されたので行かずに済んでしまった。
展覧会の概要は「生誕100年東山魁夷展」のwebページに譲る。
忘れないうちに所感をかいておこう。

*****

東山風に切り出された、自然や人工の造形美。
湖の水面が岸辺の森を映しこむ絵に代表される上下対象の構図、上方から下方へ流れる流麗な構図、中心から周縁に同心円状に膨らむ構図、水平の帯が上から下に重なる構図、画面右上から左下に引いた対角線の左右に分かれる構図・・・、
このような素朴に単純化、抽象化された構図に観る者の視線は知らず誘導され、印象的な色と光に見入り惹きこまれてしまう。
全体的に絵の構成は平面的で、角のない幾何学的なパッチワークであってみたり、パターンに色階調をつけて描き重ねてみたり、色調の変化だけで写実的な印象を表現したり。
例えば森の木々は淡い緑の塊として描かれ、濃淡や明暗で奥行きと遠近を表現しながら、手前の梢あるいは脇の茂みの陰には、部分的に繊細な枝ぶりが描かれ、同じ距離のほかの梢にはしかし再び平面的で抽象的な色の塊が配色される。具象と抽象のコンビネーションのおかげか、全体的には平面的で単純な構成であるにもかかわらず、手前から奥に重なり合う深い森の細部を想像してしまう。
ほとんどの作品が「紙本彩色」で、紙の上にのせられた岩絵具のつやのない質感が作品に落ち着きをもたせ、絵の前に立つ人の緊張感を解く。


*****

「画家は何を思って描くのか」

修作なるものはあっても、技法のための技法(アート)を修練するためにだけに描くのではないだろう。
いや実はね、ぼく岩絵具、膠の匂いとか、もうすっごくいい、あと筆の毛触りたまんない、って道具フェチが目的でもない。
過程や結果として、アートティストになり、フェチやマニアになってしまっているかもしれないが。
また、ただぼんやり八戸の海岸をぶらぶらしてて、たまたま目に入った風景を見、しょうがねえなあ。退屈だし、ちょっとこの「道」でも描いてみっか。ほかにかくもんないし、ってことでもないと思う。

見る人々に感銘を与える絵を描きたい、とは思うだろうが、それだけでは自分を突き動かす動力には弱くないか。
自分が感動した実際の風景、感動する心象、それを思うと自分が健やかになるイメージ、あるいは自分の信念、思想。その時々において常に一貫しているわけではないかもしれないが、「己の核」があるのだろう。
己のコアを表現=創作する仕事をこの人は生涯やっているのだな。と、
東山魁夷の絵を観ながら改めて感じた。やっぱ、小手先じゃないな、と。

表現の仕方には凝るだろう、そりゃ。美術だし、アートだから。

*****

画家が何を思ってようと、考えてようと、そんな事どうでもいいじゃん。
という意見もあるだろう。ごもっともだ。

『戦後、すべての肉親を失った東山は、失意のうちに房総半島の鹿野山に登り、初めて自然とひとつになった実感を得たという』
『東山が第一期障壁画に選んだ山と海という主題は、鑑真和上が目にすることのできなかった日本の自然の象徴であり、和上の精神性を讃えるもの』
『楓の樹と周囲に敷き詰められた黄金色の落ち葉。東山はこの作品に「荘重で華麗な自然の生命の燃焼」という意味を込めた』

ふーん、あっそ。

上記はそれぞれ《残照》《濤声》《行く秋》の解説の一部分だ。
当たり前だが、これだけ読んでも全く感動しない。しかし、読まなくても絵を観ると感動する。絵を観た感動は必ずしも解説とリンクするわけではない。
なぜ感動するのか、それが東山のアートだからだ。東山魁夷論を展開する元気も能力もないのでご勘弁いただくが、作家の思いと作品とは分けて考えるべきとの意見はごもっともだ。
ただし、その作品が出来たのは作家の思いがあったからこそだ。

なぜ、その作品は人々を感動させるのか、など作品そのものをレビューする事
と、
作品の出自、作家の思いなどについて語る事
とは、全く別次元の作業であることを自覚してさえいれば、前者も後者もそれぞれ意味のある作業だと、私は思う。後者の内容を前者結論の論拠と取り違えたり錯覚したりする、安易な展開に陥らない限りは。

*****

「展覧会の絵の脇に下手な解説パネルを貼り付けるな」

絵という作品のイメージと、解説文の言葉のイメージが、見て読む人の中でマージされてしまう不幸。致し方ないことだと思うが。
今まさに目の前の絵画そのものから感じとったはずのたまらない感銘が、
同じ視界にあって思わず読んでしまった言葉の色で塗り替えられる。

いやいや、ぜひぜひ塗り替えてもらった方が、楽チンだし、分かりよい。
思うに、実際のところ、絵を見に来たわけじゃないですから、
話のネタ作りですんで。というのもひとつの楽しみ方でしょうが。

*****

東京国立近代美術館で5/18まで開催中だ。

立夏 フリージアの赤、クレマティスの紫、毒草の白も濃く

  • 2008/05/06(火) 22:36:04

夏の立つがゆへ也(暦便覧)
暖かくなった。草花の色香も立つ。

赤いフリージア とても良いにおい
         車輪の脇のアレナリア・モンタナ

馬酔木(あせび)

有毒。馬が食べると酔って足がなえることから「足癈(あしじひ)」と呼ばれ、しだいに「あしび」「あせび」となったと言う。

鈴蘭
別名君影草(きみかげそう)
実は鈴蘭も有毒。活けた水を誤飲して死亡した例もあるらしい。

紅更紗灯台躑躅
(べにさらさどうだんつつじ)
          奥に美しく立ち上がるトネリコ
      新緑を見上げる
ミントも可憐に芳しく色取り取りの下草
      クレマティス
 大車輪明るく
南側もみじの足元は鬱蒼として
  ひときわ目を惹く 
 


タニウツギ群れ咲く




西側花壇、土留石の隙間、勝手に生えた
     イモカタバミ
      カタバミ

      菜園
  


   茄子と胡瓜二つづつとピーマンに赤ピーマン     




以上