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ON THE ROAD, movie

  • 2013/09/16(月) 15:50:50

8/30から公開だった!
映画『オン・ザ・ロード』
監督: ウォルター・サレス
http://www.ontheroad-movie.jp/


昨日も明日もないあるのは今この瞬間の熱狂だけさいつも、って感じが好き。
映画ではどんな世界になっているのだろうか。



野地さん、リマインドありがとうございます!
Kerouacつながりで、
野地さんから「ケルアックと比べるとヴァージリオのほうがかなり
リアリズムとリリシズムを感じさせる正統派ハイキスト」とご紹介
いただいたMan of few words, Nicholas Anthony Virgilio!!
の俳句をいくつか。

Deep in rank grass,
through a bullet-riddled helmet:
an unknown flower

lily:
out of the water...
out of itself

heat before the storm:
a fly disturbs the quiet
of the empty store

town barberpole
stops turning:
autumn nightfall

on my last journey
alone on the road at dawn:
first sight of the sea



関心ある方は下記サイトご参照。
Nick Virgilio Haiku Association
http://www.nickvirgiliohaiku.org/index.html


以前のPMS関連記事
Books reminder, Book of Haikus, Jack Kerouac
http://akomix.dtiblog.com/?mode=edit&rno=102


以上

海程 2013年8・9月号 海隆賞・海程賞・海程新人賞

  • 2013/08/24(土) 13:28:51

海程 2013年8・9月号では、今年の海隆賞・海程賞・海程新人賞
が発表された。以下、作品抄から私の好みで各3〜10句ほど抜粋。
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■第三十七回 海隆賞 受賞作品抄より抜粋

見果てぬ夢  京武久美

つぶやきが言葉となる日冬海鳴り
夢ためて冬凪にいま漂泊す
枯るる中恋うものありてうずくまる
故郷出て鴎の空の底にいる
初蝶の気負いのなかの色気かな
ねむくなるゆうべ虹出て落ち着かず
とぶための空持てば遠客のかたつむり
生きていて雲ととぶもの探す夏
どんぐりの姿態で書く詩誰のため
芒原連れ小便をして見果てぬ夢


吾が浮巣   土田武人

冬星を一粒張ってゆく民話
寒木瓜や手のなかに嘘持ち帰る
愚痴でなくかつては繭の麻袋
十葉の匂いは薄くなる文化
薄き虹聖書を入れる箱の紐


■第四十九回海程賞 受賞作品抄より抜粋

篠田 悦子

夕東風や竃火匂うまぼろし
仔猫ぽとり独り居の水の暗さに
草木瓜の花胸熱く八十路なり
葡萄棚に夜が加わり海の深さ
こころとは器なり飯包む葉っぱ

稲葉 千尋

猪に誓られている新塔婆
枇杷の花とても素敵な小声です
鼬美し弾のかたちに素っとびて
白ほたるぶくろ生れるという兆し
ほうたるを涼しいと言い小学生

□第四十九回海程賞 候補作品抄より抜粋

まほろば 京武久美

まほろばは此岸のおごり冬すみれ
二月愛しわが色をして揺らめく雅
魂抜けるとは陽炎に魅かれること

雨音 月野ぽぽな

夏の蝶まばたきのたび空軋む
銀漢はびしょ濡れのまま街の上
旅に寝て我は一枚の雨音

声の水平 森央ミモザ

じゃんけんの声の水平冬の蝶
鳥の目と木枯しのまますれちがう
銀やんま近づく我を寂しがる
呼びかけた唇に棲む雁渡し
鶏頭花ひとりは一方的に紅く

茄子の花 前田典子

水餅を摑み出したる手に薄日
死者生者どちらがかなし茄子の花
山法師ふはりと白き父のこゑ

春の土 高木一惠
国生みの矛にもぐらの春の土
脱け殻は見えず噂のやまかがし
涅槃会の老犬は黙通しけり

青蚊帳 茂里美絵

木木芽吹くひとの遠さもひかりなり
青蚊帳にふわっと消えるからだかな
まばたきは呼吸のひとつ曼珠沙華

残る月 白石司子

花万朶これを大義というべしや
残る月私という潦
磔刑の静かなる午後冬の蝿


■第48回海程新人賞 受賞作品抄より抜粋

伊藤  巌

極月や相模の海に陽の柱
拒絶とは斯くも美し鷹やせて
寒卵母の素足の映る床
満作や野川に漬けし鍬二本
野水仙ほになる娘のよく喋る
兄の指沢蟹の子の陽に流れ
茶の花や母居ぬことを問わぬ子と
フクシマ 子の開く手の雨蛙
シャワー熱し諾えずいる娘の理由
祖母の唄いつしか瀬音霜の花


小西 瞬夏

ブラウスの少女に十一月の背骨
抱きしめて蛍をやっと産み落とす
寒紅をぜんぶぬぐってからの息
しんしんことんしんしんことり冬の蝶
淫らとは春の水をごくごく飲む
蚕児というやわらかい疵である
こぼさないでくださいたぶん春です
腐乱とは浮人形の青い錆
空耳は海月の群れの中の愛
小鳥きて昼のからだをうらがえす


□第48回海程新人賞 候補作品抄より抜粋

故郷の踊り 赤崎ゆういち

踊りつつ父母故里の闇に消え
蛇のごと泳ぎし父や陸に還る
文鎮で押さえる余生零余子飯

待合室 三好つや子

均等に折れるカッター春愁
弟のような左手さくらんぼ
馬追や待合室に歯の絵本

無縁社会 尾形ゆきお

影も罠なり春昼のドラム音
円空を問う旅夜のからすうり
無縁社会崩れる花筏何処へ

蕗茹でる 三浦静佳

母国語で歌うシンガー晦日蕎麦
ポピー咲くひらがなのよう拗ねる母
蕗茹でる父を説得するように

からから 山下つばさ

お祭の金魚のように通勤・通学
からからののどにしし座流星群
黄砂降る世にたくさんの好きな人

身をよじる 桂凛火

花びらの音聴きたくて踏みしだく
身をよじる愛なんてない虫篝
耳洗う清潔な仕事白露かな

酔うためにだけ 石田秋桜

冬の蝶ペンが止まったままでいる
産着干す春の雲にもなれそうな
蛍や酔うためだけの夜であり

奥羽山脈 新野祐子

吹雪く夜や奥羽山脈被曝なほ
背泳ぎやわが混沌を空に晒し
剥製の森の神々晩夏光

--------------------------------------

さて、久々に拙句だが、我ながら、振り返るにやるせない。
きっと日々進歩しているのだ、昨日のズボンはもうはけない♪と
ポジティブに理解しておく。


海程495
○黒揚羽音楽祭の風に会う
 囀をメモしておいて後で泣く
 蝌蚪の群れ渋谷スクランブル交差点

 薄暑光再上映に間に合わず
 はんかちの花耳赤らめて黙す息

海程494
 不条理とうなじの藪蚊膨れゆく
 草色に染まる墓碑銘(エピタフ)黄金虫
○帰省して蛇口にうつる現実や

 人生をちぎって食べる夏の空
 流木の問わず語りに玫瑰も

海程493
 有り触れた春の日只共に在る
 雪つかむ雷鳥の脚ヴァーグナー
○薔薇の芽の密度嬉しくてせいいっぱい

 霾れり去りゆく街のアルペジオ
 今咲いた一輪の死を風薫る

海程492
○小春日や空に迷子のペルセウス
 春の星青くて古いあいことば
 啓蟄や百年後もいい匂いの空

 完成を恐れる神と冬薔薇
 水色が胸にあふれてリラの花

海程491
 生まれつき迷いの街にクリスマス
○口あけて光呼ぶ空寒気団
 受胎告知身体に森をとりこみて

 色鳥やわずかに食べて遠く恋う
 地図消えて月にこっそり笑い声

海程490 (投句を遅刻しすぎて掲載されず)
 真暗を抱きしめるよに雪化粧
 冬の虹何があっても受け入れる
 主人公いなくなっても雪解け
 灰の中無疵の未来絵空事
 福音に狂気の燠は薪を乞う

海程489
○お別れはレモン未満の笑顔かな
 コスモスの喪失感に瞬いて
 舞踏蜘蛛同心円のモノローグ

 色鳥の心めばえて羽根むしり
 オクラホマミキサー止んで極透明


で、今更ながら、ちゃんと俳句の基礎に立ち返ろうと思い直す。
切れと型式について改めて勉強する。たくさん読む。文語表記を
意識する。縦書きのメモ帳にする。
詩心を惹起するおまじないをつくる。つまり、創作のコンディション
へ速やかにシフトするスイッチを探す。

以上








『碧七号』原稿 「螺子」と「造型俳句論」

  • 2013/04/21(日) 23:56:58

海程神奈川句集『碧七号』原稿
文章長すぎ。文字小さくて読みずらいですが短くできません。
悪しからずご了承ください。次回はうまくやります。

-----
「螺子」       小松敦


 啓蟄や百年後もいい匂いの空

 ハ短調未来が無限だった夏

 不条理とうなじの藪蚊膨れゆく

 流木の問わず語りに玫瑰も

 新品の虹を毀しにとりかかる

 お別れはレモン未満の笑顔かな

 冬が来る耳の後ろの螺子回す

 草色に染まる墓碑銘(エピタフ)黄金虫

 人生をちぎって食べる夏の空

 文学部メタセコイアの固い影

 コスモスの喪失感に瞬いて

 真暗を抱きしめるよに雪化粧

 道端に他人(ひと)の叙事詩と蒲公英と

 着ぐるみの笑顔は笑顔原爆忌

 帰省して蛇口に映る現実存

 口笛の口して終わり夏の夢

 ここへ来て秋刀魚の態度ニヒリズム

 完成を恐れる神と冬薔薇

 とうがんにあふろへあーの君主論

 薇の暗号解けた生きのびる

---------------------------------------------

「造型俳句論」をめぐる覚書     小松敦

 金子兜太の「造型俳句論」に接続すると思われる幾つかのテキストと
個人的なメモを記す。無知蒙昧な戯言と読み飛ばしていただきたい。

《兜太は素材や作者内心の風景だけを現実と見るのではなく、「感覚を
通して自分の環境と客観的存在としての自分との両方に接しつつ、
意識に堆積されてくるもの」を「現実」として尊重し、これを表現するのが
現代俳句の新しい在り方だという。》(栗山理一・俳諧史)

《習へといふは、物に入りて、その微の顕れて情感ずるや、句の成る所なり》
《たとへば、物あらはにいひ出でても、その物より自然に出づる情にあらざれ
ば、物と我二つになりて、その情誠に至らず》(松尾芭蕉)

 金子兜太の造型俳句論の趣旨は、芭蕉の表現論の具現化に限らず、
文学、美術、音楽なども含めた近現代の芸術論や哲学的考察へリゾーム状
に接続して脈を打つ。例えば、上の引用にある「意識に堆積されてくる現実」
も「その物より自然に出づる情」も不可視だが、不可視の力を見えるように
することこそ、人間が求めてやまない魅惑の技、アートだ。

《芸術の本質は目に見えるものを再現することではなく、見えないものを
見えるようにすること》(クレー)

《F・ベーコンは身体を歪める力を描く作家である》(ドゥルーズ)

《彼は、ひとつの言語的対象を創造するが、それはちょうど、画家が、色彩に
よって、存在しているものを再現するのではなく、自分の使う色彩が存在性を
与えるような地点を探求しているのと同様だ。詩人は、沈黙せる存在の言語
として存在する「事物にして詩であるもの」を創造しようとする。詩作品を、
それ自体を通して、形態にして、実在にして、存在であるもの、つまり、作品
にしようとする。》(ブランショ)

《芸術作品は或る感覚存在であり、他の何ものでもない。すなわち、芸術作品
は即時的に存在するということだ》《芸術作品は、諸感覚のブロック、
すなわちペルセプト(被知覚態)とアフェクト(変様態)の合成態である》
(ドゥルーズ/ガタリ)

《一、まず俳句を作るとき、感覚が先行する》(金子兜太)

 D/Gが言うペルセプトとは、プルーストの言う「質的差異(註※)」である。
それはリアル=現実であり、強度をそなえた力である。「意識に堆積されてくる
現実」であり「その物より自然に出づる情」である。例えば、メルヴィルの
「海洋のペルセプト」とは、波、捕鯨船、エイハブ、モービーディックなど
をすべて包含する海という諸感覚の合成態であり、特異な「ヴィジョン」の
ことだ。
メルヴィルの海、フォークナーの丘、マンディアルグの路地裏、兜太の狼。
独創的な芸術家はマテリアル(事物)と共に特異なスタイルをもって変身し
(アフェクト=事物に生成変化すること)、ペルセプトを合成する。
 このアフェクトの概念が、金子兜太においては「創る自分による造型」である。
「創る自分」のなかで対象(マテリアル・事物)と主体(個我ではなく現実社会
の中の自分)を「ごちゃごちゃ、どろどろに煮込み」、そこから映像(イメージ)
=ペルセプトを合成する。そこで為される生成変化のプロセスにおいて、彎曲し、
火傷し、烏賊に成って、蛍光し、狼になる。造型の現場はお互いの精霊を感じて
信仰しあう「原郷」であり、アニミズムに通じている。

《ひとは世界内に存在するのではない、ひとは世界とともに生成する、
ひとは世界を観照しながら生成する。いっさいはヴィジョンであり、生成である。
ひとは宇宙へと生成する。動物への、植物への、分子への、ゼロへの生成。
いかなる恐怖が、向日葵への生成のなかに取りこまれたゴッホのあたまに
取りついているのだろうか。》(ドゥルーズ/ガタリ)

(註※)作家にとっての文体は、画家にとっての色彩と同様に、テクニックの
問題ではなく、ヴィジョンの問題である。それは、直接的で意識的な方法に
よっては不可能であるような、世界がわれわれ各人にいかにあらわれるか
という質的差異の啓示、芸術が存在しなければ各人の永遠の秘密に終わって
しまうであろう、その差異の啓示なのである。(プルースト)

《参考文献》
栗山理一「俳諧史」
金子兜太「金子兜太の俳句入門」
同「今日の俳句」
金子兜太+対馬康子「月刊俳句界2011/9月号インタビュー」
パウル・クレー「造形思考」
モーリス・ブランショ「文学空間」
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」
ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」
同「記号と事件」
同「差異と反復」
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「千のプラトー」
同「哲学とは何か」
荒川泰久+堀千晶「ドゥルーズキーワード89」


以上

books reminder 『文藝』2013春号 いとうせいこう特集

  • 2013/02/11(月) 18:19:11

books reminder 『文藝』2013春号 河出書房新社

いとうせいこうさんの特集だ。
twitterで七尾旅人のリコメンデーションを見て遅ればせながら『文藝』ゲット。
1月に発売された春号は既に売り切れ続出でなかなか手に入らずamazon
では高値がついていたが、御嬢に頼んでおいたら早稲田大学の生協で普通
に買ってきてくれた。

「想像ラジオ」の感想をすこし。他人の書評を読む前に。
以下内容に触れるし引用もする。物語の進行を楽しむ種類の小説じゃない
ので読んでも構わないと思うが気になる方は、こちらでさようなら。

さて、16年の沈黙を破る中篇小説という煽り文句だが、もとより「活動家・
いとうせいこう」の文章として読んだ私にとってはさしたるブランクを感じさせ
ない。それは氏のトークでありアジテーションでありラップでありDJであり、
お得意のユーモアと気配りが効いたいつもの司会進行、の姿勢で書かれて
いるからだ。

私は普段、作品に向かう時、作品と作家を分離して鑑賞する。が、しかし、
「想像ラジオ」は無理だ。なぜならこの作品は私にとっては活動家・いとう
せいこうのマニフェストだからだ。
このテクストは小説というよりも、DJアークが「たとえ上手」と自ら宣言する
ように、あるテーマをめぐるたとえ話を交えた声明文だ。
テーマは明快。3.11後のリアリティに僕はどうやってコミットすべきか。

魂魄この世にとどまりて・・・死者の声を想像すること、悼むこと、そうして
生者と死者は持ちつ持たれつ抱きしめあって、一緒に未来をつくる。
死を悼むこと、想像すること、物語ること、作家であること、生きること、は、
同義であり、歴史であり、たくさんのバリエーションがあり、いずれもリアル
であり、そこには常に、ことばがある。3.11以降の世界に作家としてどうや
ってコミット(がっぷり関係)してゆくか、なんて野暮なことはきくな、ブレる
余地なんてねえよ、ことばでコミットするにきまってんだろう、お前ら、黙っ
てるんじゃねえよ。

「僕らは死者と手を携えて前に進んできたんじゃないだろうか? しかし、
いつからこの国は死者を抱きしめていることが出来なくなった。」
「亡くなった人の声に耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩く
んじゃないのか。死者と共に」(第四章、僕)

「行動と同時にひそかに心の底の方で、亡くなった人の悔しさや恐ろしさや
心残りやらに耳を傾けようとしないならば、ウチらの行動はうすっぺらいもん
になってしまうんじゃないか」(第二章、ボランティアの木村宙太)

死者のことばを想像すること、死を悼むこと、霊魂を慰めることは、生き残る
者の身勝手な欲望にすぎない。ましてや肉親や恋人を失った当事者ではな
くボランティアが死者への想像を語るなんて、
「死者を侮辱している、甘すぎる」「俺らは生きている人のことを第一に考え
なくちゃいけない」「Sさん、これは俺たちボランティアがどういう場所でも常に
突きつけられている事柄で、甘い想像で相手に接してる限り何度でも、おまえ
に何が分かるんだとつっぱねられるんですよ」(第二章、ボランティアのナオ君)

ナオ君は代弁している。ボランティアを自己満足の偽善者だと見る部外者達
の寂しい生き様を。そしてナオ君へのアンチテーゼとして宙太がいる。無口
なガメさんやSさん、僕のエピソードは、このテーマが3.11に限られたもので
はないことを示す。

「あなたは書くことでわたしの言いたいことを想像してくれる。声が聴こえなく
ても、あなたは意味を聴いているんだよ」(第四章、身近な事故で「君」をなく
した「僕」の想像による「僕」と「君」との会話。)
「わたしに付き合ってくれてありがとう。履歴は消さなくていいんだよね?」
「いいんだよ。僕もこの会話を残すつもりだけど、いい?」
「残して欲しい。わたしとあなたで今日また、新しい世界を作りました」
(第四章、生=「僕」=「君」=死が未来を紡ぐ。)

「作家っていうのは、俺よくわかんないけど、心のなかで聴いた声が文に
なって漏れてくるような人なんじゃないのかと思うんですよ」(第二章、木村
宙太)


まず読め。関心のある者は。
読後、あなたはきっとリデンプション・ソングを聴くだろう。
賛同する者らよ、想像せよ、聴け、語れ。
今日再び、新しい世界をつくろう。

とアジりたくなるような本だから、いとうせいこう氏の狙いは成功しているだろう。
で、夢幻能みたいな亡霊の話ではない。もっとあたり前の話。
死人の声、なんてしょっちゅう聴いて(思い出し)いるでしょ。身近な人から有名
人まで。当たり前のことを3.11を舞台にたとえ話で分かりやすく、ある意味分か
りにくく、ちょっと大げさに描画して魅せる。それがせいこう氏の仕事。

作品だけをとってみれば、軽快なDJアークの設定はおもしろくて、つかみは
オッケーだし、意外(失礼?)に細かい描写で読者をぐいぐいと想像ラジオの
世界に引き込む、引力のある文章ですが。ただし、文芸作品としてはテーマ
に関して説明的で直截すぎるきらいあり、と感じます。


ところで、『談』の最新刊/2012no.95[特集]魂の承継、これから読むのだが、
『想像ラジオ』とシンクロするなと想像している。読んでみて面白かったら感想
を書きます。



以上




森の生活 WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS

  • 2013/01/03(木) 09:20:01

WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS
Henry David Thoreau
森の生活―ウォールデン― ヘンリー・デヴィッド・ソロー 岩波文庫 神吉三郎訳
19世紀半ば、米国マサチューセッツの町に住む30手前の青年が思い立ち、
町から2キロちょっとの近所の森に小屋を掘っ立て約二年間ひきこもって綴った独り言集。

手の届くところにおいておき、たまに開けてみる本。
湖畔の朝の静謐、漂う松脂の匂い、隣で暮らす動物達の生活の音。刺激的な言葉の数々、
好きです。

「たいがいの人間は、比較的自由なこの国においてさえ、単なる無知と誤解とからして、
人生の人為的な苦労とよけいな原始的な労働とに忙殺されて、その最も美しい果実を
もぐことができないのである。」
「どうしてわれわれはこうもせわしく人生のむだづかいをして生きなければならないのか。」
「仕事仕事というが、われわれは大切な仕事なんかしてはいない」

でもね、そうは言うけど、ソローさん。。。と読むたびに思う本。

「わたしが森に往ったわけは、わたしが慎重に生きようと欲し、人生の根本的な事実にのみ
対面し、それが教えようともっているものを私がまなぶことができないものかどうかを知ろう
と欲し、わたしがいよいよ死ぬときに、自分は生きなかったということを発見することがない
ように欲したからである。わたしは人生でないものを生きることを欲しなかった。生きるとは
それほど大切だったから。さりとてわたしは万やむをえないかぎりは諦めをもちいることを
欲しなかった。」

上の訳が分かりにくい!ので下に原文も。
http://thoreau.eserver.org/walden00.html より。

I went to the woods because I wished to live deliberately, to front only the
essential facts of life, and see if I could not learn what it had to teach, and not,
when I came to die, discover that I had not lived. I did not wish to live what was
not life, living is so dear; nor did I wish to practice resignation, unless it was
quite necessary.
要は、いまわの際になって、おれの人生こんなんじゃない!ということのないように、
妥協することなく大切に生きたい、と。

よし、と元気が出ることもある。

「もし人が自分の夢の方向に自信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようと
つとめるならば、彼は平成には予想できなかったほどの成功に出あうであろう。
彼は何物かを置き去りにし、目に見えない境界線を越えるであろう。」

こんなところも好き。岩波文庫の訳文意味不明なので英文。
Nature and human life are as various as our several constitutions. Who shall
say what prospect life offers to another? Could a greater miracle take place
than for us to look through each other's eyes for an instant?
自然も人間もものすごく多様で、自分の人生が他人の人生にどんな影響をあたえるかも
わからない。一瞬でも、お互いの目線で世界を見ることができれば、奇跡が起こるだろう。
と、要するに、人はみな違う、流されるな、妥協すんな、思い込むな、
とそのようにソローさんは言い続けています。

ちょっと説教くさいですが、このメッセージは強いと思います。じっさい、それまで貧しかった
ソローさん、WALDEN出版後は肉体労働をせずにも生活ができるようになったそうです。

2013NewYearCardの言葉もそんなソローさんの言葉です。

The question is not what you look at, but what you see.

Henry David Thoreau

下記サイトに同じような考え方を述べた様々な方々の言葉がありました。ご参考までに。
http://open.salon.com/blog/jonathan_huie/2009/10/01/henry_david_thoreau_the_question_is_not_what_you_look_at_but_what_you_see

It all depends on how we look at things, and not how they are in themselves.
- Carl Jung

We don't see things as they are,
we see things as we are.
- Anaïs Nin

People only see what they are prepared to see.
- Ralph Waldo Emerson

The beauty does not live out there; the beauty's in my eyes.
- Jonathan Lockwood Huie


ちなみに、既に各位からご質問いただいているのですが、2013NewYearCardの写真は
八ヶ岳本沢温泉露天風呂手前の道端の苔です。
地熱と温泉と日当たりのよさで一面苔むしていたのです。


近寄ってみるともうひとつの森がそこにありました。



以上